「現代人は、欲しいものがないくらい満たされている」という大嘘に騙されるな

「現代人は、欲しいものがないくらい満たされている」という大嘘に騙されるな

1955年から1970年代までの間、日本はGDPで見るとお話にならないほど貧しかった。しかし、「これからどんどん世の中が良くなっていく」「所得倍増だ」「欲しいものは何でも買っていい」という高度成長期特有の超ポジティブな楽観論が社会全体を覆い尽くしていたので、人々の心理は笑ってしまうほど「豊か」だった。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019メディア『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)

どんどん収入が増えることが約束される時代なら?

もし、将来は右肩上がりでどんどん収入が増えることが約束され、給料も働けば働くほど増え、株式も土地も買っておいておけば知らない間に膨れ上がっていくような世の中になったとしたら、あなたはどうするだろうか?

どんどんカネが入ってくるのだから、欲しいものは何でも買うはずだ。貯金してもいいが、貯金をしなくても、少し働けば満足いく給料が転がり込み、しかもそれが右肩上がりで増えるのだから将来に何の心配もない。

無理してもマイホームを買い、少し高いと感じても思い切ってワンランク上の車を買い、欲しかった趣味の品々を揃え、子供にも欲しがっているモノを気前良く買ってあげるだろう。

1ヶ月に2回や3回くらいは美味しい料理を食べに行き、趣味にも惜しみなくカネを使い、ファッションにも気をかけるようになり、恋人とデートの回数を増やし、結婚したい人は結婚し、子供が欲しい人は子供を持つだろう。

そうなれば、内需もフル回転する。企業は売上と利益が毎年のように増大し、株価はどんどん上がり、従業員を雇って給料を毎年上げていく。そうすると、ますます内需が増えて景気が良くなる。

景気が良くなると、犯罪も減る。治安も良くなる。人々に余裕ができるので、社会全体が優しくなる。経済がうまく回れば、政治が多少マズくても許せるし、現状維持を望むので政権も安定する。政権が安定すると、国際的信用力も高まる。

そうなったところで、世の中は歓喜と楽観と強気で満たされて、人々は「生まれて来て良かった」としみじみと人生を振り返るはずだ。

このような世の中を「高度成長期」と呼ぶ。

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人々の心理は笑ってしまうほど「豊か」だった

1955年から1970年までの日本は「高度成長期」だった。今の60代以上の人は、この「高度成長期」の時代を知っている。しかし、1955年から1970年代までの間、日本はGDPで見るとお話にならないほど貧しかった。

しかし、「これからどんどん世の中が良くなっていく」「所得倍増だ」「欲しいものは何でも買っていい」という高度成長期特有の超ポジティブな楽観論が社会全体を覆い尽くしていたので、人々の心理は笑ってしまうほど「豊か」だった。

この時代の日本人が死に物狂いで働いたのは、働けば面白いほど豊かになれたからだ。残業は耐えるものではなかった。「もっと稼ぎたいからもっとさせろ」というものだったのだ。

1950年代後半に生きていた人たちは、当時は垂涎の的であった「テレビ、洗濯機、冷蔵庫」を誰よりも早く手に入れたいと夢中になった。さらに1960年代の人は、「カラーテレビ、エアコン、車」も欲しいと願った。

働けば給料が上がった。必ず豊かになれた。だから人々は燃えるような物欲にうなされ、それを手に入れて「幸せいっぱい」の日々を送った。

やがて1970年代に入って、二度に渡るオイルショックで日本の成長は鈍化し、かつてほどの熱狂も消えた。人々は、将来に対して少し冷静に見るようになり、「この幸せな経済成長はもう望めないかもしれない」と思うようになった。

しかし、1980年代の後半になって成熟した日本にバブル経済が到来し、再び日本人は「夢が巡って来たのか?」と狂喜乱舞した。

この時の好況は円高による資産バブルだったので、土地と株式を持っている人間が最初に凄まじい資産膨張に踊り狂った。そして、そのおこぼれが普通の人々にトリクルダウンされた。そんな構図だった。

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体験したことがないのだから、実感できないで当然

しかし、急激に膨れ上がったバブルは1990年に弾き飛び、日本はそれ以後、停滞と沈鬱の時代に転がり落ちていく。膨れ上がった資産は萎み、株式市場は崩壊した。

そんな時に政府はバブルをより破壊するために総量規制を導入して日本の景気を壊滅的なまでに破壊し、1997年には橋本龍太郎内閣が消費税を5%に引き上げて日本経済を完全に殺した。

政治も混乱し、企業の成長も消えた。人々は将来に不安を持つようになり消費を控え、内需も消えてなくなった。自殺者も毎年3万人を超えるような時代となった。

2000年代を過ぎると、貧困、格差、社会矛盾が吹き荒れ、さらに2010年代になると、人々の心理は不安から絶望に落ちてますます萎縮していった。もう社会のどん底(ボトム)で暮らす人たちは住居すらも持てなくなってネットカフェのようなところで寝泊まりしている。

そんな今の30代以下の日本人に「高度成長期」の話をしても、どこの夢の国の話なのかと思われるだけだ。彼らは一度も「夢のような経済成長」を経験したことがないし、社会が希望に満ち溢れた時代も知らない。

「どんどんカネを使っても心配ない。欲しいと思うものは何でも買えるし、給料も毎年上がって止まらない」という時代が存在してこたことも知らないし、高度成長期に入ればそうなるということすらも理解できない。

体験したことがないのだから、実感できないで当然だ。

消費税はすでに10%になった。2020年に入ってからは、中国発コロナウイルスで経済も壊滅的ダメージを受けた。

今の社会は、給料が毎年上がるどころか、明日にでも残業代がなくなるかもしれない、給料が下げられるかもしれない、リストラされるかもしれないと心配しないといけない時代になっている。

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ありとあらゆる経済成長を試す必要に迫られている

そんな時代のサバイバルというのは、「貯める、消費しない、結婚しない」になるのは当然だ。

「若者の車離れ」だとか「若者の恋愛離れ」だとか「若者のアルコール離れ」だとか「若者の海外旅行離れ」だとか、いろいろ言われているのだが、別に若者が急に無気力になったわけではない。

将来に何の希望もないから、車も買わず、恋愛もせず、酒も飲まずタバコも吸わず、旅行も行かないで「生活防衛」をしているのである。カネがなければ「余計なことをしない、何も関心を持たない、消費しない」というのが最上のサバイバルだ。

彼らは当然のことをしていると言っても過言ではない。

「現代人は、欲しいものがないくらい満たされている」というのは、人間の心理を知らない浅はかなエコノミストが言っているだけだ。

1960年代の高度成長期の真っ只中のように所得がどんどん上がっていくような社会になったら、あっと言う間に今の若者も大消費者に転換する。つまり、若年層の問題は日本人の劣化や退化の問題ではなく、純粋に経済問題なのだ。

高度成長期にあって、現在にないもの。それは「将来に対する夢や希望」である。

「将来は明るい、将来はもっと金持ちになれる、将来はもっと良い時代がやってくる」という展望があれば、人々は強気、かつ楽観的になり、内需も2倍3倍にもなって企業を潤し、やがては賃金を通して人々の生活を潤すことになる。

経済成長とひとことで言っても簡単なことではない。

金融緩和、技術革新、インフレ誘導、円安……。様々な方法論が考えられているのだが、日本はもう議論している段階ではなく、ありとあらゆる経済成長を試す必要に迫られている国であるのは間違いない。

努力が実って持続可能な経済成長ができるようになると、「将来に対する夢や希望」が戻り、消費も増えれば人口も増える。難しい話をしていない。人々がガンガン儲かる社会、豊かになる社会を作り上げるのが政治家の仕事だということだ。

『戦後経済史 私たちはどこで間違えたのか(野口 悠紀雄)』

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