アフターコロナ以後、時代は新しく変わって新しい能力が求められるようになる

アフターコロナ以後、時代は新しく変わって新しい能力が求められるようになる

事故で半年寝たきりだった人に「骨が固まったら明日から歩け」と放り出しても歩けない。半年も歩かないと、歩けなくなっている。本当に足が前に出ない。当たり前にできたことができなくなっている。それでも骨や筋肉や神経が無事であれば、「リハビリ」という反復運動をすることによって、徐々に歩けるようになっていく。しかし、もしここでリハビリという反復を拒絶したらどうなるのか。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019メディア『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)

無能力であるという現実を突きつけられること

中国発コロナウイルスによって世界は変わった。今後はインターネットがリアルに取って代わるのは確実だ。リモートワーク、ビデオ会議、チャット、新しいソフトウェアやハードウェア、インターネット技術、概念、ルール、秩序が急速に構築され、それが新常態(ニューノーマル)となる。

ということは、今後の私たちはよりインターネットに適応したライフスタイルと知識と能力が求められるようになる。新しい時代に合わせて、新しい能力を素早く身に付ける必要があるということだ。

しかし、何か新しい能力を身に付けたいと思っても、思い立てば明日からすぐに手に入るわけではない。逆だ。新しい何かの能力を身に付けたいと思ったら、翌日から失敗に失敗を重ね続ける経験をすることになる。

各種乗り物の運転も、楽器の演奏も、芸術作品の創造も、スポーツも、職人の仕事も、経営も、投資も、ありとあらゆる「能力」は思い立ってもすぐ身に付かない。

最初は「まったく何もできない」のが普通だ。それはどんなものであっても、やったことのないものを最初から何でもうまくするのは不可能だからだ。

たとえば、凄まじい反射神経を持ったアスリートでも、教わった翌日にギターが弾けるようになるわけではないし、天才科学者が将棋を教わった翌日に将棋のプロになれるわけでもない。

慣れていない、知識がない、身体が思う通りに動かない、どれだけ教わっても身に付かない、覚えられない、忘れる。新しいことを始めるというのは、自分がその点に関しては無能力であるという現実を突きつけられることだ。

それでも自分がその能力を身につけたいという固い意思があるのであれば、まず現実主義者になって自分の無能力さを受け入れるしかない。

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能力を手に入れるためには、反復するしかない

新しい能力が必要になるのは、アフターコロナに限ったことではない。人間はしばしば新しい能力を身につけなければならない状況に追いやられる。

大学を卒業して「仕事」の世界に飛び込んだ新入社員は、ゼロからすべてを覚えなければならない。仕事を覚える前に職場に行くための電車の乗り方から、いや、その前にネクタイの結び方から覚えなければならない状況に追いやられる。

慣れていなければネクタイも結べず、電車の乗り換えすらも満足にできない。その上、会社に行っても任された仕事の意味も分からず、一緒に仕事をする人たちの名前も覚えられず、何か説明されても右から左へと流れていく。

しかし、ここをひとつひとつクリアしていかないと、新しい世界では生きていけないので必死にならざるを得ない。必死になっても、翌日からすべてをうまくこなせるようになるのは無理だ。

そして人間は、現状を把握した結果ひとつの結論に至る。それは、能力を手に入れるためには時間をかけて「反復」しなければならないという結論だ。

なぜ反復が必要なのか。

能力を手に入れるためには慣れる必要があるのだが、慣れるためには繰り返しの反復が唯一の手段だからだ。

毎日ネクタイを結んでいれば、もう何も考えなくてもネクタイくらいは結べるようになる。毎日同じ顔を見ていれば、名前と顔はやがて一致する。電車の乗り降りも夢うつつでもできるようになる。

仕事に関しては習熟に長い時間がかかるかもしれないが、それでも「反復」しているうちに身体が条件反射のように動くようになるのが普通だ。

反復する中で、教わったものを脳に刻み込み、覚え、忘れないようにすることができるようになる。そういった意味で、新しい能力を手に入れたいと思っているのに反復ができない人間は何も手に入れられないということでもある。

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「同じことを繰り返す」というのは基本中の基本

自分が何気なくこなしている日常的な行為のほとんどは反復することによって手に入れてきた能力でもある。「立って歩く」という当たり前に見えることですらも人間は反復で手に入れた能力だ。

事故で半年寝たきりだった人に「骨が固まったら明日から歩け」と放り出しても歩けない。半年も歩かないと、歩けなくなっている。本当に足が前に出ない。当たり前にできたことができなくなっている。

それでも骨や筋肉や神経が無事であれば、「リハビリ」という反復運動をすることによって、徐々に歩けるようになっていく。しかし、もしここでリハビリという反復を拒絶したらどうなるのか。歩くという機能が完全に失われて車イスの生活になる。

反復をしなければ失われる。重要な能力を喪失したくなければ反復しなければならないのである。

今まで何気なくこなしている能力ですらも反復を忘れて消えていく。それならば「新しい能力」を身につけるのに、意識的に強い反復を自分に課さなければならないというのは誰でも気付くはずだ。

自分の身体で、自分の時間をかけて、反復しなければならない。その部分は外注・業務委託はできない。

重要な部分を外注・業務委託してしまうと、相手はそれによって反復を得てプロになっていき、肝心な自分自身はいつまで経っても新しい能力が手に入らない。必要な能力が欲しければ、絶対に自分自身で反復して身につけなければならないのである。

「同じことを繰り返す」というのは基本中の基本だ。この基本には無限の試行錯誤が含まれている。

多くのアスリートが強調することに呼吸の重要性がある。どのタイミングで息を吸っておくのか。どのタイミングで吐いておくのか。それで結果がまったく違うものとなる。

それは反復の中で試行錯誤しながら身体で覚えていくしかない。すべての能力は長い試行錯誤の実績によって生まれる。

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他の人がなしえないほどの長い反復が必要になる

反復は熟練を生む。この熟練は「何をやるべきなのか、何をやってはいけないのか」という膨大な知識がすべて自分に備わった結果として手に入れられるものである。

反復は同じことを延々と繰り返しているのではなく、条件や環境を変えて、それでうまくいくかどうかを試行錯誤する場でもある。つまり、反復は試行錯誤であり、試行錯誤は仮説・検証のシステムである。

この部分をしっかりやって手に入れた能力は、膨大な仮説と検証で裏打ちされているので、どんな環境でも発揮できる強靭な能力となる。

かつての日本は丁稚奉公というシステムもあったし、弟子入りというシステムもあった。今で言う「見習い期間」で経験とたっぷりと積ませ、失敗を大量に経験させ、うまく行く方法を試行錯誤さえて「一人前」に仕立て上げていた。

一人前にするために、あえて失敗も許される期間を設けて仕事を反復させ、試行錯誤させていたのだ。

試行錯誤とは「何をしたら正しくないのか」という重要なデータを積み上げるために必要な方法である。だから、試行錯誤をたっぷりと行って手に入れた能力は強く、そうでない能力は弱い。

どれくらいの試行錯誤が必要なのかは対象やその人の能力によって違うのだが、自分の人生を支えるために手に入れるべき重要な能力については、他の人がなしえないほどの長い反復が必要になってくるのは間違いない。

人生を賭けても良いと思うものについては、凄まじいまでの反復を自分に課して、それを手に入れる必要がある。

アフターコロナでは時代が変わる。新しい能力が必要とされるようになる。時代を生き残るために、こうした部分にもフォーカスを当てておくべきだ。

『能力を磨く: AI時代に活躍する人材「3つの能力」(田坂 広志)』

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