格差が極度に開いていくのは「強者が敗者からすべてを奪う仕組み」があるから

格差が極度に開いていくのは「強者が敗者からすべてを奪う仕組み」があるから

長い時間が経過すると、絶対に敗者が浮かび上がることが不可能な、完全に二極分化した社会となる。そして、大人が幼児とボクシングをするような、あるいはフェラーリが人間とスピード競争するような、最初から「競争」にもならないような「競争という名の収奪」が繰り広げられて、圧倒的強者が勝利のトロフィーをかっさらうようになる。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。

全体から見るとごく少数の人たち

私たちは、何も持たない人が自らの知恵と行動力で成功するサクセス・ストーリーが大好きだ。実際、世の中にはそうしたサクセス・ストーリーをつかんだ人たちがいて、私たちに夢を語りかけてくれる。

しかし、私たちがそうしたサクセス・ストーリーが好きなのは、現実社会でそのサクセス・ストーリーをつかむ人は「全体から見るとごく少数の人たち」に限られていて、誰もが成し遂げられるものではないからである。

通常、どのような世界でも勝ち上がれるのは全体の中の数パーセントであり、大勢が競争に負けて敗退していく。では、誰が勝つのか。通常は、すでに勝者である人間が継続して勝つ。

絶対に競争に勝つ方法がある。絶対に負けない方法がある。常に、自分よりも弱い者と競争すればいいだけだ。

相手が圧倒的に弱い場合のみ、わざと勝負を持ちかける。そして、相手をその気にさせたり、勝負せざるを得ないような状況に追い詰めたりして競争する。そうすると、絶対に勝てる。

自分が絶対に勝てる弱い相手を捜し出して、そこで「自由競争しなければならない」と競争原理を持ち込み、そして競争して勝つ。勝ったら相手から奪う。それを繰り返すことによって勝者は常に勝ち、敗者は叩きのめされる光景が生み出される。

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その差は大人と子供以上の体力差がある

現代社会は徹底的な資本主義社会だが、この社会において競争相手は「人間vs人間」だけではない。「企業vs人間」という競争もある。その企業というのは、往々にして超巨大資本である。

超巨大資本と個人が戦ったら、99.99%は超巨大資本が個人に勝つ。たまにそうではないケースもあるが、それはかなり例外的なものだ。超巨大資本は常に小資本を叩き潰してきたのである。

ひとことで「資本」と言うが、その差は大人と子供以上の体力差がある。それは、想像以上に凄まじい差である。

たとえば、個人が町のどこかで喫茶店を開こうとする。開業資金に1000万円かかったとする。その人の資産が1000万円だったとすれば、その人は自分の全財産を賭けて店を開いたことになる。

ところで、その店の隣にスターバックスが進出してきたとする。スターバックスの時価総額は約11兆6089億円である。

その差は約116万倍だ。

1000倍でも1万倍でも10万倍でもない。100万倍以上である。この100万倍以上ものハンディを持って同じ分野でまともに戦って勝つというのは基本的に不可能である。しかし、資本主義ではこれほどまでに規模の違う企業が競争することになっている。

もちろん、小資本は巨大資本が進出しないニッチを必死で見つけて、そこで勝負するしかないのだが、そのニッチが大きな分野になれば、大手がそれを買収するか競争を仕掛けて市場を奪い取ってしまうのが常である。

制限のない「自由競争」が社会に持ち込まれると、最終的には強者がすべてを総取りする強烈な社会になるというのは理解できるはずだ。

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圧倒的強者が圧倒的弱者を踏み潰す社会

アメリカは資本主義の自由競争を徹底的に推し進めたが、その結果「勝者総取り」の社会になって中流階級が崩壊した。

この「自由競争」はグローバル化という流れに乗って、全世界に広がった。世界規模で自由競争が始まり、あらゆる国で格差が深刻化している。

学者の世界でも、スポーツの世界でも、エンターテイメントの世界でもそうだ。すべて、「激しい自由競争」の中にある。そして、すべてに圧倒的強者と膨大な敗者のある世界を生み出してきた。

その自由競争が限度を超えて進むと、どうなるのか。

やがて勝者がすべてに勝ってますます強くなり、弱者はすべての競争に負けてどんどん追い詰められていく。そして、長い時間が経過すると、絶対に敗者が浮かび上がることが不可能な、完全に二極分化した社会となる。

そして、大人が幼児とボクシングをするような、あるいはフェラーリが人間とスピード競争するような、最初から「競争」にもならないような「競争という名の収奪」が繰り広げられて、圧倒的強者が勝利のトロフィーをかっさらうようになる。

競争するに当たって、スタートの位置を同じにするとか、ランクやレベルを同じにするというのは現実社会にはない。圧倒的強者が圧倒的弱者を踏み潰しても良いのが現実社会であり、それを推し進めるのが「自由競争」である。

ところで、現在は「資本主義」であるので、人はカネを持っているか持っていないかで、否が応でも区分けされる社会になっている。カネがすべての世の中ではないのだが、カネで人間性が判断され、勝ち組なのか負け組なのかが決まっていく。

だから、資本主義の中で「勝者総取りの社会になる」というのは、すなわち勝っている人間が「競争という名の収奪」を仕掛けて世の中のカネを総取りし、敗者はどんどん貧困化していくことになる。

今、まさに私たちの目の前で起きているのが、自由競争による格差の二極分化なのである。

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勝ち上がった者「だけ」が、すべてを手に入れる

私たちはグローバル化した資本主義の中で、カネをめぐって必死で毎日を生きている。このカネを巡る自由競争で負けると、負けていた期間が長ければ長いほど這い上がるのに苦労する。

時間の経過が進めば進むほど格差が開くからだ。しかし、格差が開いたら競争は終わるのではない。「もう自分は資本主義に向いていないから、資本主義から脱落したい」と思っても、それは許されない。

カネがなければ目の前に大量の食べ物があっても飢えて死ぬのが資本主義なのだ。圧倒的弱者も資本主義社会では無理やり競争に引き出されて競争させられる。

競争が成り立つのはそれぞれの個体の力が拮抗しているときだけである。誰かが一方的に勝ち始めると、競争は成り立たなくなっていく。勝者がすべての競争に勝つからだ。そして、敗者がまったく何も持たなくなるまでそれが続く。

競争が成り立たなくなるときが来るのである。それでも競争主義を推し進めると、一握りの勝者が社会の上部に君臨して、あとは勝者の奴隷となる。

しかしながら、20世紀はこの自由競争によって社会がうまく機能していたのも事実だ。工業は競争によって品質を高め、生産性を高め、競争力を高め、社会を著しく発展させてきた。

より優れた技術・より優れた科学は、自由競争によって登場してきたのだ。

だから、自由競争を受け入れるのは現代人としてはまったく当然のことで、疑う人はどこにもいない。それによって豊かになる人が出てきても当然だと受け入れる。

しかし、これがさらに加速していき、暴走していけば常に社会が発展するという構図は崩れていく。勝者はもはや後発が追い抜けないほど強くなり、やがてはその勝者がすべてを手に入れる。

すでに様々な分野で勝ち上がった者「だけ」が、すべてを手に入れる社会が到来している。格差が凄絶なまでに開き、数人の富裕層が世界中の富の大半を保有していく極限状態にまで突き進んでいく。

強者が敗者からすべてを奪う仕組み。強者が弱者に仕掛けたワナ。それが「自由競争」である。

圧倒的強者であればあるほど、競争が好きなのはそのような理由が裏にある。

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