資本主義の世界では、誰しもが生き残るために「資本」を持つ必要がある

資本主義の世界では、誰しもが生き残るために「資本」を持つ必要がある

すべてのゲーム、すべてのスポーツは、参加者全員が、まず最初に対等の状態になることからスタートする。カードは同じ枚数が配られるし、駒は同じ数の駒が配られる。スポーツでも対戦人数は同じ数で始められる。

カードは、一方が30枚でもう一方が5枚のような、圧倒的な不平等でのゲームはあり得ない。将棋でも、一方が飛車角1枚ずつで、一方が飛車角が5枚あるというのもあり得ない。

サッカーでも、一方が5人で一方が20人という対戦はない。ボクシングでも、フライ級とヘビー級が戦うというものはない。

ゲームやスポーツでは、競争が成り立たせるために、両者の差をなるべく平等にするという配慮があり、さらにフェアプレイも要求される。

ところが、現実の世界はそうではない。

ゲームやスポーツとはまるっきり逆だ。両者の差を同じにするという配慮はゼロなのだ。しかも、フェアプレイも求められていない。その結果どうなるのかは誰でも想像が付く。

巨大な権力、巨大な資本を持った人間が永遠に勝ち続け、何も持たない人間は徹底的に負け続けて奪われていく。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。

現実はまったく平等ではない

スタート地点を平等にするという前提条件は、私たちの生きている社会にはない。子供が生まれた瞬間、子供は生まれた国や時代や親の資質や資産や性別や遺伝によって優劣が決まる。

親の資産が10億円のアメリカ生まれの富裕層の子供と、親が極貧のフィリピンの僻地生まれの貧困層の子供とでは、その後の運命がまったく違ったものになる可能性があるのは誰でも分かる。

しかし、この両者が同じ土俵で競争するのがグローバル社会の正体である。

こういった極端な例でなくても、たとえば日本生まれの日本育ちの中でも、生まれた瞬間に優劣が決まる。

たまたま、悪い時代に生まれてしまった世代というのもある。平和な時代に生まれなかったとか、不景気の最中に社会に出てしまった世代は、他の世代よりも明らかに苦心惨憺の人生を送る。

その優劣は社会に出る前から圧倒的な優越の差となって、その後の人生を決定づけてしまうのである。

良い仕事は恵まれた人たちが独占することが多い。悪い仕事は恵まれなかった人たちに押しつけられることが多い。馬鹿な遊び人でも富裕層の息子は一流企業の重役になる。知的な人格者でも、貧困層の息子は中小企業の事務係になる。

もちろん、重役と事務係では報酬もまたまったく違う。その差は2倍、3倍どころではない。10倍かもしれないし、100倍かもしれない。それほどの差となって格差が開いていく。

不利な状態からスタートする人たちの多くは、その差を埋めることができず、生まれてから死ぬまで、とても不遇な人生を送ることになる。

現実主義者になるというのは、世の中がそういった世界であるということを見つめて、それでもその中でできるだけのことをするという姿勢を持つ人のことだ。

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貧困層はそれだけで追い詰められる

この世は1%の富裕層と99%のその他で区分されていることでも分かる通り、すでに格差は埋めがたいものになっている。そして、その99%の中でもまた天と地のごとく大きな格差が存在する。

実は、世の中の圧倒的多数の人たちは貯金がゼロの状態である。これは貯金好きの日本人でもそうだ。資本主義の世の中なのに、生活安定の基盤になるはずの貯金がまったくない。それは一種の危機的状況だ。

病気になったり、事故に遭ったり、リストラに遭ったりすると、その瞬間に自転車操業が止まって生活が成り立たなくなる。そんな状態の人が珍しくないのだ。

厚生労働省は「日本の相対的貧困率は16%超である」と言っている。最近は日本の統計も当てにならないのだが、この数字を人口に当てはめれば2000万人となる。これだけの人々が日本で「貧困」にあたり、月9万円以下で暮らす世帯である。

こうしたギリギリの貧困層はわずか100円の出費増も死活問題に直結する。今年は消費税が上がるので、貧困層はそれだけで追い詰められるのは明らかだ。

誰も助けてくれないし、これから追い詰められていくのも間違いないのだから、慎重に生きなければならない。慎重に生きるというのは、すなわち基本をきちんと踏まえるということに他ならない。

できることは1つだけだ。「収入を増やし、支出を減らす」しかない。

一にも二にも節約を徹底する。無駄金は使わない。1円でも貯める。何としてでも貯金を増やす。何が何でも、それを徹底する。自分が世の中で不利な立場にあることを現実主義者の目で客観視して、まずは「何も持たない」という状態から抜け出すしかない。

何も持たない人間が最初の目標は、とにかく「貯金を増やす」ということだ。たとえば、100万円の貯金はひとつの目安になる。100万円が貯まると、少なくとも何も持たない最下層からひとつ上の段階に上がることを意味するからだ。

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単純さを極めるのが基本

資本主義の世界では、誰しも生き残るために「資本」を持たないと何ともならない。そしてその資本は増やしていく必要がある。

最初に100万円を目指すとしても、最終的には、100万円を200万円に、500万円に、1000万円に、と育てていかなければならない。

ある程度の資本が生まれれば、金利と複利が味方にできる。100万円を金利3%で回せば1年で3万円は金が金を生んでくれる。その3万円もまた貯金して回せば、その3万円が翌年には900円の利益を生み出す。

日本では1年に3%の金利が付くものと言えば、もっとも一般的には普通株式を買うことだ。だから、株式投資の知識は資本主義の世界で生きるための必須の知識であると言える。

投資はギャンブルにすることもできるが、自らを守る盾にすることもできる。良い会社をほどほどの値段で買って、そこから3%程度の配当を地道に受け取って守りながら増やすという手法は役に立つ。

株式投資はインフレヘッジにもなる。0.02%の貯金よりも圧倒的に有利なのである。そうやって節約して貯金も続けた上に投資でも資産を増やしていくと、その相乗効果で100万円を200万円にするのは最初の100万円を貯めるよりも楽に実現できる。

200万円が実現できると、次の400万円はさらに楽になる。100万円のときのように苦しまなくてもいい。そうやって資金をどこまでも雪だるまのように金を転がし続けていくというのが、資本主義の中で生きるための「基本」となる。

重要なのは、転がす雪だるまの大きさではない。重要なのは、「資本」という雪だるまを転がすという行為である。資本主義社会で生きるというのは、それをするということに意味があると言ってもいい。

一見すると、とても単純で地道な行為なのだが、この単純さを極めるのが生き残りの基本だ。そして、最後には基本をきちんと押さえた人間だけが生き残る。(written by 鈴木傾城)

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