『マネーの公理』リスク回避をして生きる日本人とリスクを取るスイス人

『マネーの公理』リスク回避をして生きる日本人とリスクを取るスイス人

日本人は銀行の金利が限りなくゼロ近くになっても、まだ定期預金みたいなものを続けている。都銀の金利は0.01%くらいだが、ほとんどないも同然だ。

金融広報中央委員会「家計の金融行動に関する世論調査(2016年)」によると、2人以上世帯で金融資産がない世帯も含めた全年齢の資産平均値は1078万円だった。1078万円の0.01%と言えば1078円でしかない。

株式の配当が仮に3%であれば32万3400円である。その差は歴然としている。しかし、このような計算があったとしても、日本人は相変わらず銀行に資金を預けっぱなしにして動かさない。

なぜ、日本人はそうなのか。

日本人が本当にカネに興味がないのであれば、宝くじみたいな絶望的に当たらないものを買うわけがない。あるいは、パチンコや公営ギャンブルが社会に定着することもない。

日本人も、そのようなものに群がるということは、日本人もまたカネが欲しいと喉から手が出るような状態になっているのである。にも関わらず、ほとんどの日本人は株式を買うことは決してない。

なぜなのか。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。

「リスク回避」の民族的気質がそこにあるから?

恐らく日本人は、極限的なまでに「リスク」を取らない国民気質があるからなのだと納得するしかない。日本人は世界で最も「リスク」を嫌う民族なのかもしれない。

日本社会では、今でも「同じ会社にずっと勤める」のが美徳であると言われている。すでに世の中は大きく変化していて終身雇用は大手企業でも消えつつあり、社員はコスト扱いされている。

しかし、いまだに「同じ会社にずっと勤めるのが安泰だ」と考える人は多い。

それは、常に「忠誠を誓うことが道徳的だから」という建前で語られるのだが、それでは会社を心から愛している人ばかりなのかと言えばまったくそうではない。「こんな会社は早く辞めたい」と心の中で思っている人もかなりの数で存在する。

このような状況を注意深く観察すると、「同じ会社にずっと勤める」のは、それが美徳だからそうしているのではなく、会社を辞めて違うことをする「リスク」を取りたくないから仕方がなくそうしているというのが本音に近いように見える。

リスクを取るのを嫌っているのである。

日本社会は、他の国よりも同質性が高いというのは国外からよく指摘されているのだが、これは「まわりに合わせる」「空気を読む」という日本人気質が生み出しているのは、当の日本人もまたよく知っている。

なぜ、まわりに合わせたり、空気を読んだりするのかというと、やはり「リスク」が関係しているのではないか。

要するに、まわりに合わせなかったり空気を読まなかったりして衝突や対立が起きる「リスク」を回避している無意識の行動なのではないか。

日本人の基本方針は「リスク回避」であることに気づけば、日本人気質の大部分は説明できるようにも見える。

終身雇用という日本独特の企業文化が生まれたのも、会社を辞めて冒険するリスクを取りたくない従業員と、社員をリストラして「冷たい会社だ」と責められるリスクを取りたくない経営者の妥協の産物だったのかもしれないのだ。

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「おまえに必要なのは投機だ。投機が必要なのだ」

そういう意味で、普通の日本人がまったく株式に興味を示さずに銀行に金を預けるのをやめないのも、「リスク回避」の民族的気質がそこにあるからだとも言える。

金利が0.01%みたいな異常なものになっても、日本では暴動も反乱も起きない。もちろん、銀行批判も政府批判も日銀批判も起きない。日本人は、「カネを安全に保管してもらいたい」というリスク回避で銀行に金を預けているからだ。それ以上を求めていないのである。

リスク回避は確かに大切なものであり、それは否定できない。過度のリスクを取っていると足元をすくわれる危険が高まる。しかし、何事においても度が過ぎるのは良くないというのも事実である。

リスク回避は、それがあまりにも徹底化されると、逆にそれ自体がリスクになってしまうのだ。

「リスク」についての考察で興味深いのはスイス人である。マックス・ギュンター氏の著書『マネーの公理 スイス銀行家に学ぶ儲けのルール』は、スイス人のリスクに対する思考が垣間見えてなかなか面白い著書だ。

シュワイザー・バンクのNY支店長だったフランク・ギュンター氏は、スイス人の一般的な考え方として大学生になった息子にこのように諭したと記されている。

「給与だけで考えるな。給与では決して金持ちになれない。だから多くの人々が給与をもらって貧しくなるのだ。自分のために、何か他のものを持たなければならない。おまえに必要なのは投機だ。投機が必要なのだ

これは、ほとんどの日本人にとって衝撃的な言葉ではないだろうか。

おおよそ、日本人の父親が大学生の息子に「おまえに必要なのは投機だ。投機が必要なのだ」と言うことは決してない。一般的な日本人の父親であれば、恐らくこのように言うはずだ。

「会社に入って給与をもらって銀行に貯金しなさい。投機だけはしてはいけない。投機は絶対ダメだ」

マネーの公理 スイスの銀行家に学ぶ儲けのルール:マックス・ギュンター

リスクを過度に回避しすぎている日本人が多すぎる?

この『マネーの公理』を記したマックス・ギュンターは、その父親の教えを忠実に守って、銀行家として投機に向かっていく。投機が人生に必要不可欠のものであるとスイス人の民族的気質で納得するのである。

この著書は冒頭から「スイス人は世界で最も繁栄した人々である」「スイス人は、どうやって現在の地位を築いたのだろうか」と問いかけて、このように誇らしげに書いているのだ。

スイス人は、どうやって現在の地位を築いたのだろうか。世界で最も賢い投資家、投機家、ギャンブラーとして、それを手に入れたのだ。

私たちは「投資(インベスト)はしても投機(スペキュレイト)はするな」と教わってきた。しかし、スイス人は「実際には何の違いはない」としてこのように結論づけている。

「すべての投資は投機である。唯一の違いは、ある人はそれを認め、ある人はそれを認めないことだ」

そして、マックス・ギュンターは「いかに巧妙に、賢く、意味のある投機をするか」の哲学に入っていくのだが、そこで貫かれているのは、一貫して「リスクを取ること」「勝負に出ること」「リスクを恐れないこと」「傷つくことを恐れないこと」である。

「投機をするなら、傷つくことを厭わない気持ちでスタートしなければならない。少しでもいいから、心配になるような金額を賭けるのだ」

スイス人の語る投機に関する考え方が良いか悪いかは別にして、「リスク」に対する考え方はスイス人と日本人はこうも違っているというのは興味深い事実である。

そして、思うのだ。

今の日本人が振り返って考えるべきは「リスク」のことではないのか。リスクは確かに過大に無防備に取って良いものではない。

しかし、マネーに関してもライフスタイルに関しても、リスクを過度に回避しすぎている日本人が多すぎることが現代の日本社会を停滞させているのではないかという思いが強い。

投機(ギャンブル)をすべきとは言わない。しかし、いろんな意味でリスクを取ることを学ぶのは悪いことではないはずだ。『マネーの公理』では、アメリカの石油王であるジャン・ポール・ゲティの言葉も紹介している。

「損する可能性もあった。しかし、もし損をしたとしても、リスクを取ることは正しいという信念を変えることはなかっただろう。私は、大きなリスクを取ることによって、おもしろいことが起こる可能性を自分に与えたのだ。可能性、希望、だよ。もしもリスクを取ることを拒否していたら、希望を持てなかっただろう」

日本人は「道」を極める民族的気質がある。多くの日本人は株式投資の世界でも世界有数の投資家を生み出す土壌があるように思えるが、そうした才能の多くがリスク回避を恐れるあまりに眠ってしまっていることが残念だ。(written by 鈴木傾城)

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